優しくなくていいから

悲しい顔はしないーでー♪

時の流れ

昨日(2013年8月7日)、「第62回伊勢神宮式年遷宮奉祝『鎮守の里』コンサート」というのが伊勢神宮で催されたのだが、もちろん私は参加していない・・・。

約2万通の申し込みから700人の招待って、申し込みは1回で2人までOKだったので実質350人ってことで、1.75%の人しか当たらなかったってこと・・・。100人のうちの1人か2人。にはなれませんね、はい。

橿原神宮明治神宮も運よく行くことができてたので、行けたらよかったけれど、実際には平日の19時ごろまでに伊勢神宮に行くというのは、仕事休まない限り無理。あの辺は車がないと公共交通の便がそれほどよくないので次の日まで東京には帰りつけない。夜行バスでも使えば別ですが。2日の休みは必須だったわけで、今回は仕方ないかな。

藤井さんが幸せな気持ちで歌えたのであれば、本当に良かった。それがそこにいた誰かを幸せにできたのならさらに良かった。

いろんな記事になっていたが、一番詳しかったので伊勢志摩経済新聞の記事をリンクしておきます。

リンクを貼ったWebページに、橿原神宮でのライブの記事があったので見てみたら2007年8月27日となっていて、時の流れの不思議を思う。

あの時は、「式年遷宮の年、藤井さん51歳?」とか私は・・・とか思っていたけれど、本当にあっという間。20年以上の思い出があるからか、6年前なんてざっくり分類するとほんのちょっと前のことだ。

それが大ちゃんのことと思い浮かべてみるとどうだろう。私はまだ彼の存在もよく知らなかったし、彼はまだあの膝の怪我もしていない。

動画でそのころの演技を見ても、今とはかなり違う。自分が見ていなかった頃の演技は、ずっとずっと遠い昔のことのように思っていたけれど、実際そのころの自分を思い出すと、今と大して変わらない自分がいる(老化はしていても・・・)。

もちろん大ちゃんは若いからというのはあるが、それでもこの6年、いや、特にバンクーバーからの3年ちょっとで彼はどれだけの変化を遂げたのだろうか。

"人として"というのは正確にはわからないけど、演技としてはある意味別人だ。一般の人にとっても大学卒業して就職してと20代前半から後半は大きく変わる時期には違いないが、彼の変化は彼の努力なくして成り立たなかった。

むかーし、世界史で「この国でこの事件が起こったころ、ヨーロッパはどうなっていたでしょう」なんていうような問題がよくあり、年表を重ねて覚えたりさせられたものだが、そんな感じで藤井さんや大ちゃんのことを並べてみると、自然とその頃の自分も思いだせたりしてちょっと面白いかもと思った。(面白いのは自分だけですが・・・)