何を受け入れたの?
高橋選手は本当に自己評価が低く、発言は常に自虐的だと思う。満足したら止まってしまうからとか、いろいろ理由はあるだろうが、それ以前にかなりの完璧主義で頑固者なんだと思う。特にスケーターとしての自分には。一歩でも譲ってしまえば、そこで終わりというぐらいの強いプライドを持って挑んでいるんじゃないだろうか。
年末にあった熊川さんとの対談で、「(高)フィギュアでは音に合わせることはさほど重要ではない」「(熊)じゃ、BGMなんだ?」という会話を聞いたときに、私は少し驚いた。失礼かもしれないが、そういうことにちゃんと気づいていたんだと。
彼は採点法に対する不満は口にすることはほとんどない。だから本当に自分ができないと思ってるんじゃないかと心配に思うことがあったりしたのだ。それはもちろん今の採点法に対する最も効率の良いやり方を取る術もないことはないからなんだけど。
去年末にIcenetworkのインタビューでローリーニコルが語っていた言葉を思いだす。
(高橋が五輪でメダルを取れると思うかとの問いに)「彼がすべての彼の力を出し切って二つのプログラムを揃えることができたら、それはフィギュアスケートの芸術性の進化において特別な日になる」というような内容だ。
それこそが彼がやりたかったこと、だったのかもしれない。どんなに自分に不利な採点法であろうと不条理なものであろうと、足りないというのならすべて揃えてやるという強い気持ち。
それは、彼がどこまで自分自身の演技の芸術性を評価しているかとかいうことではなく、自分がこうしたいと思っている部分を決して削ることなく、必要だというなら全部入れてやるという気持ちだ。
そしてそれはおそらくローリーから見ても、彼の手に届く範囲まできていたんじゃないだろうか、昨年末あの怪我をするまでは。
彼は、はっきり言って不器用としか思えないほどの正攻法で、それに挑み続け、けれど怪我によって、想定していた最高の舞台でその挑戦の過程で得たものすべてを出し切ることができなかった。それも、彼にとっては負けであることに違いはない。彼が受け入れたのはその戦い方では勝てなかったという事実じゃないのかな。
だけどその挑戦で得たものはまだなくなってなんかない。あらためて、いまここでもう一度上記のローリーの記事を読み、長く彼に関わってきたわけではない彼女がここまでの賛辞を贈っているということに大きな意味を感じた。
だからこそ、彼のやりたいことを無くすわけじゃない、けれど効率が悪くない、そんな今までと違う戦い方がないものなのかと、そんな風に思ってしまう。
プログラムはジャンプだけじゃなく、音楽との調和、美しいスケーティング全部そろわなきゃダメだろう。
でもね、4回転とかなんとかいうより、4回転2本とコンビネーションジャンプのことを考えると、嫌いなトゥループがジャンプのほとんどを占めちゃうってのが何より問題なんじゃないのかな。コンビのジャンプも一つずつと考えると、SP4本、FP11本のジャンプのうち、予定構成では7本(3連にしたら8本)、おおよそ半分が嫌いなトゥループってありえん。
先月、ショウマの世界Jrのプロトコルを見ながら、これよこれっ!3A-1Lo-3Fってできないのかな?アクセル無理なら、3Lz-1Lo-3Fとかは可能なのか??だって、「どんなんでも飛べる」って言ってる3Fが一回しか入れられないのってめっちゃもったいないじゃん!3Lzもそうだけど。
だいたいTだらけだから、ザヤの恐怖にもなるわけだし。ザヤ云々は置いといても、得意なジャンプをたくさん飛ぼうよ!
セカンドのループって1回転でも難しいのかなぁ?それとも見た目がステップアウトっぽいから嫌なのかしら??(私はそう)3連は音楽に乗りにくいからとか?・・・それもありそう。
1Lo-3Sのコンビは、Pチャンはじめやってる人多いから知ってたけど、サルコーもあんまり好きじゃないだろーなと思ってたんだけど、フリップという手があるとは。
ま、こんなこといってたら、全く採点方法変わっちゃうかもしれないから意味ないか~。
素人が考えつくようなこと、チームだって考えてただろうし、やらなかったのには理由があったのだろうとは思うから、くだらないんですけどね。