優しくなくていいから

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キヤノン・ワールドフィギュアスケートウェブのインタビュー

髙橋大輔選手|2018-2019シーズン インタビュー|キヤノン・ワールドフィギュアスケートウェブ

 

昨日記事にしたNumberのインタビューも良かったですが、今日キヤノン・ワールドフィギュアスケートウェブにアップされたインタビュー記事も読み応えがありました。

おそらく同時期のインタビューだと思います。

 

引退から復帰までの四年の心の動きや、今の気持ちも素直な言葉で聞けて、その前向きな気持ちを聞けたのが、とにかく嬉しい😆

 

このインタビューでも濱田先生についても触れられていますが、少し前に発売されていたドイツ🇩🇪のフィギュアスケート誌PIROUETTEでも濱田先生や岳斗先生が手助けしてくれている事に触れられています。歌子先生や武史先生はもちろんの事、沢山の関大スケート部の関係者の方々が彼の練習をサポートして下さってるんだというのがわかります。

先生方が躊躇なくそれを出来るのも高橋大輔だからこそで、それが若い選手であれば沢山のコーチや関係者が話合いなく色々なアドバイスをすることは、選手本人が混乱する可能性に方が大きくなってしまうので難しいでしょう。複数のコーチからのアドバイスもしっかりと受け取り、自分の中で消化出来る経験と能力があるからこそ、生きてくる環境だと思うのです。

またアドバイスする側も、そういう意味では責任を負う必要もなく、彼がそれを消化して1つのものにしていく過程を見る事により、今後の若い選手達の育成時の良いロールモデルとする事ができます。織田くんも少し前に「今の関大のスケートチームの雰囲気はとてもいい」という話をしていましたが、それをみんなが実感しているということがとてもよくわかります。

これはとても面白いアプローチだと思うし、今後のフィギュアスケートコーチングにも生かされていくのだろうと感じずにはいられません。

 

ソチ五輪後のワールドを棄権した時の話。彼は「自分が逃げた」というような言葉を使いますが、このシーズンに入る前から膝の状態は悪く、安定して練習する事も出来なかったそうです。

2014年にこの記事を書いた野口さんとNumberの記事を書いた松原さんがお2人で講演を行なっており、そう言った話をされていたと、当時参加者の方がブログに書いてくださっていました。

実際に、2013年のJapanOpenの後に行われたNHK杯の会見映像(10月初め)で外にあるバスにサインをする為に選手達が歩いている映像があるのですが、映されている事に気付いていない彼は脚を引き摺って歩いているのです。少し映り込んでいるだけの映像で、当時もファンは心配したものでした。

通常映されていると分かっている時はそういう歩き方はしませんでしたから。あの全日本の時でさえも。

その状態でスケアメ、NHK杯と戦い、とうとう骨挫傷という大きな怪我となってしまいます。しかし、全日本に出る為に無理をし続けて、さらには五輪までずっと、夜寝る間も治療器を付け、熟睡する事も出来なかったということでした。

実際、ロシアでの合宿中に彼の膝の状態を診たロシアの医者もあまりのひどい状態に、それでも五輪の重みは分かっているから、「五輪が終わったら休んだ方がいい」と勧めたという事でした。

彼が言う「逃げた」というのは、また大きな怪我をするリスクもあるのに、そのギリギリの生活をワールドまで続けるということです。一般人である我々が考えるレベルとは全く違っているのです。

だからファンとしては、あの時棄権してくれた事は本当に良かったとずっと思っています。こうして、彼が今笑顔で滑っていてくれるのも、あの決断があったからこそなのです。

 

そして、今の大輔さんが見ているのは、いわゆる『現役選手』の道ではなく、パフォーマーとしての自分。選手をやっていようと、ショーやそれ以外のパフォーマーとしてのチャレンジも並行してやっていくというビジョンが明確に言葉になってきました。

選手としての心残りから戻った場所ではなく、進むべき道の上にあった復帰だったというのがよく分かります。

これから彼がパフォーマンスする場所から、ますます目が離せません。