優しくなくていいから

悲しい顔はしないーでー♪

「幸せ」と書かれた標識

このタイトルは藤井さんの「トワイライト」という歌の歌詞の一部。

『「幸せ」と書かれた標識、それは誰がたてたのか?」なんて一節で、人というか特に日本人なのかな?なんか命題だなって思う。

先日、大ちゃんの後輩さんやごく身近な方たちの企画した「サプライズ引退パーティ」なるものが行われたそう。

それを受けてインスタで自分のことを「幸せモン」だって、大ちゃん。

本当によかったね、愛されてるね。心の底からそう思う。

それとは裏腹に、私には寂しい気持ちがあることは確か。

いろんなことが区切りを付けられていってるなって。

お世話になっていた(って勝手に読んでただけだけど)ファン方々のブログが、ソチが終わり、引退発表があって、どんどん更新がなくなったり、クローズされたり。

プライベートでの彼がとても幸福であることはとても素敵なことだし、うれしい。その気持ちには何の偽りもない。

けど、私たちファンが見ていられるのは、フィギュアスケーターの彼だから、フィギュアスケーターとして彼が過ごしたここ数年の、特に1年前のあの苦しみが、フィギュアスケーターとしての彼に対して報われるような何かを望んでしまう。

彼にといいながら、それはただのファンのエゴなんだろうけれど。

それには、たぶん彼自身のさらに想像を超えるような努力が必要だろうから。

フィギュアスケーターの彼も、普段の彼も一人の人間なんだから、ちゃんと彼という人間にとってたくさんの幸せがあればそれで充分なんだけどね。

ただ、それは私たちファンが覗き見るものでもないと思うから、なんとなく幸せそうであればOK。

これほどに応援してきた現役選手としての彼の最後が、あれほどに辛いものであってほしくなかったと、その気持ちを完全に拭い去ることができないままでいるだけなんだろう。

週末に、グレゴリさんのスケオタデイズの電子版を買って読んで、全日本の男子フリーのところで号泣してしまった。(よかった、電車で読んでなくて^^;)

彼の最後のシーズンを思い出すだけで、1年経ってもまだこんなに泣けてしまうんだな。

前の記事でも書いたけど、私はまだプロスケーターとして、ショーを中心に活動する彼をなんとなく想像できないでいる。

滑らないってことも想像できないけど。

まぁでも、徹子の部屋でお尻の筋肉を徹子さんに触られてるときだって「現役やめて、かなり筋肉落ちちゃってるんですけど」なんて言い訳してるあたり、かわいいやつよの~とか思うし。相変わらず時々負けず嫌いなところが出てるんだな。

何より彼自身も、今までの日本の先輩スケーター達が通ってきたような道を行くことだって絶対シュミレーションしただろうし、今の時点ではそこに自分の情熱を燃やす「何か」を見つけられはしていないってことだろう。

何年後かの未来に彼が見つけるその道が、この残ってしまった思いを浄化させるようなものなのかもしれないし、ただただ時がすべてを薄れさせ、ゆっくりと消えていくのかもしれない。

だから、もう少し夢を見ていよう。